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2016年12月31日 (土)

★感じると考える

本当の意味において自分というものの無価値に目覚めた時、安堵の涙が流れた。

それを知るものは恐らく一番弱く一番強い

価値を求めるなかれ
本当の無価値に向かいなされ
そこには絶対的な安堵があるから

価値を得ようと努力すればするほど遠ざかる
無価値にこそ無限の可能性を見つけて、そこから純粋な欲望によって努力が生まれ出れば、それはずっと喜びとともにあるだろう
ただただ、志向することの喜び
ただただ、欲することの喜び
ただただ、受け取ることの喜び


それからもうひとつ。

思考先行型には感じることの大事さを伝えてきた
だがしかし
思考と感性は両輪であってどちらかだけでは見いだせない

感じたら考えなさい
考えたら感じなさい

感じているものを観察すること
考えているものを観察すること

感じていると認識しているものから離れる
考えていると認識しているものから離れる

感じながら観察する
考えながら観察する

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2016年7月31日 (日)

★皆の者に告ぐ

皆の者に告ぐ

各々は幸せにならなければならぬ義務を負っていると思へ

数へきれぬほど先につながる命の通過点として

バトンをどんな形で渡すのか

それは各々の双肩にかかっていると思へ

己れ一つの命ではない

どれほど大事にしてもし尽くせぬほど大事にし給へ

夢ゆめ粗末になさるな

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2016年2月29日 (月)

★気づくこと

【気づくこと】

「良かれ」は罪が重い…などと少し語気の強めの記事を書きました。
でも決して責めているのではない。
目の前でパン!と手を叩いて驚かすような意図。

当たり前だと思ってることを指摘されてもピンと来ない人に向けて、ソレのことよ!と意識してもらうため。
あ!コレか!と気づいてもらうため。

だから、自分が責められたと取らないでください。
そう受け取ったなら、自責の念が強いところがあるんだなーと、さらなる気づきに繋げてください。
「良かれ」をしている自分をダメだと思わずに、今気付けて良かった♪くらいに思ってもらえたら幸いです。

思いグセはかなり強力です。
「良かれ」は子どもの頃から親に教え込まれたものかもしれません。
人のために生きることが美徳と思ってきていると思います。

でも違います。
人のために何かする云々よりも自分が幸せに満ちたりていたら、意図せずに周りの人も幸せにします。

ツラくて苦しくて顔を歪めてる人が「あなたのために…」と何かしてくれたら嬉しいですか?
そんなことよりご自身のことを気遣ってくださいって思いませんか?

幸せでニコニコしてる人が「あなたにコレどう?」って勧めてくれたら、幸せになれそうな気がしませんか?

だからまずすることは、
「自分が幸せになること」です。

今の自分は、どんな状態なのか?
それに気づくこと。
周りに見える苦境や上手く回ってない状況は、今のあなたの状態を教えてくれるものです。

幸せ波動に包まれてますか?

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★離れて融合する

【離れて融合する】

言葉だけ見ると意味がわからんと思います。
一段階、関係性が上昇するのです。

なぜ一旦離れるのか。
それは「違い」を認識するためです。
癒着を切り離すのです。
癒着と融合は違います。

癒着はもたれ合い。
個が自己主張しあっています。
お互いを縛りあい動きにくい関係です。

融合は混ざり合い。
個は個でありながら全体を兼ねます。
全体の中でそれぞれが自由に動きます。

あなたと私は違うもの。
アレとコレは違うもの。
間近でくっついていては、それが日常であれば尚のこと、本来のそれぞれの姿が見えません。
だから離れるのです。
再びそれと融合するかどうかは後の話。

とりあえず「自分」というものを癒着から切り出すのです。

『ああ!これが私というものか!』

と、はっきりと認識するのです。
そうしなければ、自分のしたいこと・自分に向いてること・自分のできること・自分は何が好きなのかさえもわかりません。

だから個として存在してみるのです。
誰かのマネや誰かの言いなりや誰かのために生きることから離れるのです。

それから、自分の心地よい在り方でやり方で場所で、仲間たちと融合していくのです。

それは元々一緒にいた人かもしれません。
夫婦や親子であれば関係性の再構築になるかもしれません。
友人であれば付き合う人が変わるかもしれません。

未知のものを怖がる性質が自我にはありますが、ここは自我さんと折り合いを付けて、一旦離れる勇気を出してみよう♪

実際に離れられない場面もあると思います。
「気持ち」を切り離すのです。
こうしなければ…から。
しといた方がいい…から。
今まではこうだった…から。

一回チャラにして、私はどうしたい?と自分に聞いてみてください。

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★人間関係の断捨離

【人間関係の断捨離】

今これがものすごいスピードと思いがけない形で現れて来ているようです。

でもうすうす勘付いていたはず。
なんか違うなって。
どうも合わんなって。

でももう今年(の春先まで、あるいは6月9月)には表出してくるし、なんでこうなるの?という形が展開されるし、意外な事を言われたり、頭の理解を超えた速度で飛んでくるかもしれません。

でも、慌てないで。
順調です。
ちゃんと時流に乗ってます。
その場でえっ⁉︎と思うくらい関係性が変わる場合もあるでしょう。
一旦断腸の思いで切る場面もあるでしょう。必要だからそうなります。

そんなダイナミックなものでなくても、目に映るものが今まで通りでないことに気づいたり、変化した事を知るきっかけがあるかもしれません。

モノだけでなく、人の断捨離。
特定の人ではなく周りを取り巻く社会(人の集団)かもしれません。

それはエネルギーの供給を止めることだったり、繋がり方を変えること。
恐れずに進め。

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2015年10月13日 (火)

★無価値観

もうね。
価値あるの。
何をしててもしてなくても。
最初っっっから価値あるの。

なんで価値ないふりしてんの?
いつまてその遊びやってるの?
何があったら価値出てくるの?
その価値基準、おかしくない?

点検してみた?
え!
点検してないの?
そらあかん。

ほな早よ点検してみ。
そこや、問題は。
自分に問題あるんとちゃうねん。
その価値基準に問題あるねん。

あー良かったな♪
もう問題解決や♪

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★信じるなかれ

私も含めてそうなんですが。

カミサマの言葉を伝える人の言うことなど、まともに受け取る必要ないです。
あ〜その人の世界ではそうなのね、くらいでいいです。

だって自分も同じように受け取れるから。

私もカミサマの言葉を書くときは、受け取りたい人は勝手に受け取ればいい程度で自分事として書いてます。
教え導く気持ちなどない。
ただ受け取ったからシェアしてるだけ。
響くならその時のその人がその周波数だった、というだけのこと。

そこで「これを受け取らないとダメですよ」なんて言ってくる人は疑えばいいと思ってる。
押し付けられなければならない義理など皆無です。
要らんと思えば捨てればいい。
必要・不要は自分で決めればいい。

要らんと思いつつ拾ってしまうのなら、その不安を抱えてる自分を見つめ直す方が先決で、神の言葉などどうでもいいのです。
カバンの中をガラクタでいっぱいにしてたら重いだけ。
どんどん身軽になっていっていいのです。

だから、さぁ、この言葉さえ取捨選択してください。
お持ち帰り自由です。

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★残念さん

せっかくなら人の役に立ちたい?
生きてるには何か意味があるはず?
なんで苦労してきたかを知りたい?

あー。
残念でした。

意味ナシです。
ぜーんぜん意味ありません。

ただ生きてます。


……

……

あら?

不満そうねぇ?


そこです。
何か「意味」を見出そうとするその「自分の思考」を見つめるのです。
何かを為すことに「意味」を求める自分の思考と向き合うのです。
無意味なことをしたくないと思ってしまう自分の「思考癖」に気づくのです。

あなたは人のためと言いながら利益追求型ですやん?
それじゃ全然人のためじゃなくて自分のためじゃないですか。
徳を積むことによって自分が良い人間と判断されたいだけでしょう?
そこを認めたらどう?

生きてることに意味づけしようなんて、猿が思ってますか?
自然に従って生きることに重要な意味づけ必要ですか?
なんか考えすぎじゃね?

苦労してきたこと、それはただの結果であって、そこに芋づる式になんか価値を見いだしたい我欲じゃないの?
苦労するしか知らなかったから、ただそこを通っただけだよ。
新たな方法知ったなら楽な道行きゃいいんだよ。
昔のことに意味づけするなんざ不要だよ。

さて。
今回もバッサリ行っちゃいましたが。
痛い思いした人、ごめんなさい。

でもね。
もう卒業していいよ。
楽していいよ。
苦行の時代は終わりだよ。

何かに意味づけする暇あるのなら、
今生きてることを体感しよう。
ああ!自分は生きている!
この瞬間に生きている!
なんて素敵なんだ!

そう感じて生きていよう。

この、カマキリさんのように♪♪

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2015年7月31日 (金)

★國津の

月に意識を合わせるものよ

天津の時は去り行きて

國津の時が巡り来る

國津の御魂の顕れと

願いた者よ目を覚まし

己が役割果たす時

國津とは

宇宙の法を地に降ろし

広めゆく者なればこそ

芯に光を引き入れて

光広げて参られよ

天津の神は今までの

御世を支えし者なれば

天津國津の隔たり超えて

敬い尊び合うことを

身を持つ者よ知りなされ

月の鏡に映された

光ぞいずこから出でん

己が心が曇らぬように

しかりと照らして行きなされ

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2015年6月13日 (土)

★それはただの反応

ここのところの投稿は、言葉が少しキツく感じた方もおられたんではないでしょうか?
 
もっと思いやりのある言い方が出来ないの?と腹立ちを感じた方もいるんじゃないかと思います。
でも同時に、そうそう♪そうだよね〜と共感したり、それほど苦痛に受け取られなかった方もおられると思います。
その差は何か。
 
反応、なんですよ。
 
イラっとしたり、グサッと来たり、悲しくなったり、目を背けたくなったり…
っていうのは、そこに反応する思い込みを持ってますよのサインです。
 
ずっと頑張ってきた人に「努力なんて必要ない」と言ったら。
我慢を重ねてきた人に「我慢は美徳でもなんでもない」と言ったら。
女性性を受け入れられない人に「それただの思い込み」って言ったら。
 
『そんなことない!』という反発や、わかってもらえないという悲しみや、何よわかった風なこと言ってという怒りやら。
 
それらを発信している元が、その思い込みのある場所です。
心がザワザワしたのなら、なぜザワザワするのかをジーっと眺めていく。
 
どこが嫌だと感じてるのか。
何を守ろうとしてるのか。
どうであったら苦しくならないのか。
頑張ったねと言われたいのか。
慰められたいのか。
受け入れられたいのか。
 
そっとしといてほしい、は除外。
それはまたここに蓋をつけるから見ないでね、ってことだから(笑)
もう見ちゃったんだから、ね(^^)
諦めよう。
 
これが、いつもセッションでお伝えしてる、自分を客観的に眺めるっていう手法です。
 
動いている感情を眺めるんです。
どう反応を返そうとしてるかを眺めるんです。
ずっとジーっと。
 
往往にして心に重い蓋をつけている人は、カラ元気というのか常に明るく振舞おうとしたり、周りの人にこれでもか!というくらい気を配ったりします。
見られたくないから。
蓋の中身を。
そうやって気づかれないようにやり過ごすことを繰り返しているうちに、自分でも気づかないことにしちゃってるんですね。
 
でも自分が隠してることは知ってる。
そしてそこにグサッと直撃が来ると猛烈に反発する。
 
それ、ただの反応なんです。
 
それを、見つめて行くんです。

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