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2012年7月 5日 (木)

★お金の思い込みと感謝

昨日の夜か今日の朝、奈良の遷都1300年と水瓶座の時代13000年は何か関係があるらしい、っていうの浮かんだんだけど、どんな関係があったのか、そこんとこの記憶がスッポリなくなってます(笑)
あははw
 
だから枕元にメモ置いとけっていう指令が来たんだなぁ。
画用紙とボールペン置いてあったのに。
ぜーんぜん記録とること忘れてた…^^;
 
そんなわけで忘れんぼさんのために再度よろしく(誰に頼んでんねんw)
 
ハイヤーさんは大丈夫大丈夫♪ぜーんぜん大丈夫♪って感じで、逆にワクワクしてるぽいっていうか、自我ちゃんが大慌てしているところを楽しんでらっしゃる様子。
でもこちとら自我担当者としては、やっぱりソワソワするわけで。
 
だけどずっと長時間自我に留まってることも難しくなってきていて、ついフラフラっとハイヤーさん意識に寄ってちゃうっていうか、スーッと空状態になるっていうか、あぁ何もかも安心だ…という方面に行ってしまい。
 
不安感を堪能しまくる!ってのがなかなか難しく。
 
 
そして今日。
懸案事項wだった、感謝なんですが。
とても自然に、感謝の表現(支払い)の時に流れ出ていくエネルギー(お金)に対して、ありがとう…という感謝が湧いてきました。
おお、こりゃええ♪
 
これはちょっと意識を向ける訓練をしないと身に付かない系なパターン。
いや、マネゲを始めてからは必ず感謝の表現(支払い)のときには、感謝やな♪って思ってはいたのです。
でもロバートさんも、どれだけ心から感謝が湧いてくるかがポイントって書かれていて、ある程度の練習が必要ですって。
 
他のことにはほんとに心から感謝が湧くんだけどね(-_-;)
お金が出ていくってことにはなかなか感謝が湧かないっていうか、まぁ今までどれだけ強固に思い込みを抱きしめていたかってことなんだけど。
 
「ちゃんとこの人は(お金が)エネルギーの循環だってことをわかってるから」って以前にS子さんには言ってもらってはいたんだけど、それでもコレですからね~。
 
でも今日は、そのエネルギーの循環しているさまに、本当に心から感謝が湧いてきた。
これは良い傾向です♪
この感覚ですね♪
 
以前からの強い思い込みで、私には大金は必要ない、大金が入ったとしても出ていくものだ、お金はそれほど重要じゃない、云々…というものを握りしめていて。
これは放浪修行僧的過去のストイック性が表出していたのかもしれないけれど、清貧志向・俗物嫌悪という感情が結構色濃く残ってました。
あー。急に思い出したけど、草むらで青空見上げて野垂れ死んで行ったのって、この修行僧かな。
ここで終わりか、思い残すことなど何もない…って結構晴々した気持ちで眠るように去ったのたけど、結構残してますよー!おかげで今わりと苦労してまっせぇぇ!(笑)
ちなみにこの人は布教とは無縁で自己の真理追求のみを良しとして生きていた孤独の人だったようです。
おかげで今回も、小さい頃から宗教への疑問を持ち、誰にも話さず一人で真理探究の道に入ったんだろうけどさ。
 
もとい。
 
大金は要らないという思いも裏を返せば、お金を持ったら手放すな!という強い思い込みとも言えるわけで。
失う恐怖が先に手に入れることを拒否している、とも取れるわけで。
 
今は、それに気付いているのでかなり手放しつつあるのだけど、お金あってもイイじゃ~ん♪って思おうとするとブレーキがかかり、いまだになかなか思えないっていうか…(~_~;)
あってもいいんだよ、あってもなくてもどっちでもいいんだよ。
↑自分(自我)に言い聞かせてみました(爆)
 
この強い思い込みの反映していない部分(お金以外の部分)に関しては、もうほぼどっちでもいいじゃ~ん♪がデフォルトになっているんだけど、ことお金に関してのみまだ残っている。
だから今、大きな卵として私の前に鎮座ましまされているんだね。
 
いやぁ。ほんとにデカイ卵っすわ…( ̄∀ ̄;)
 
ま、地道に感謝が湧く練習を積んでいきますです、ハイ。
 
 
ちなみに。
感謝とは、純粋に感謝のみであって、そこに他の感情は絡みまない。
もし他の感情が紛れこんでいるなら、それは本当の感謝ではないかも。
自我が感謝のフリをしているのかも。
 
たとえば、ココは感謝やな・・・という計算だったり、自分を責める気持ちを感謝でごまかしていたり、不安があるから感謝することで帳消しにしたいという願望であったり。
そうです、私も↑コレをしていました。
不安を感謝にすり替えるというバージョン。
それでは感謝の本当の威力はまったくナイですな。
本当の自分を見えなくするための煙幕でしかない。
 
あ~。今まで何をやっていたんだか。
もう一度再出発いたします(爆)
 
Aにゃんが教えてくれた、manaさんの方法。
周りにある物、机でも鉛筆でも何でもから、愛されている!という愛され感を強く感じてみるというもの。
カフェでやってみました。
座っている椅子からも目の前のカップからも、どんどんと愛され感が伝わってきて、キュ~ンってなるくらい嬉しくて涙が出そうでした。
あああ愛されているぅぅぅ!ありがたいぃぃぃ!(泣)
 
実はその前に、チョコがあぅぅ~んと言いながら歩み寄ってくる、その姿に神を見ていました。
その神が私をものすごく愛しく思ってくれているのを実感して、ちょー幸せ感に浸っていたんです。
それを、生き物ではない(と思っている)物に対しても感じてみる。
それはそれは満たされますよ♪
 
周りにある物たちは、「縁」がなければ周りにはいない物たちだもの。
そしてその「縁」はエネルギーだもの。
その物たちとの間でエネルギーの循環が起こっているんだもの。
ってことは、エネルギー=愛だもの…。
 
すっごい愛されてるよねーーーー!!(T^T)
 
賢者テラさんとこの短編小説。
モノさんたちの奮闘する姿が描かれています。
「カレー戦線異状あり!?」
http://ameblo.jp/eyeofgod/entry-11265386519.html

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★いまだプロセス試行錯誤中♪^^;

お金がない。
はい。
手持ちの残金がまぁ1ヶ月は無理じゃないの?というところまで!
とうとうここまで来ちゃいましたYO!
 
で、ここで湧いてくるのは「このままで大丈夫か?」という不安。
やっぱり湧いてきましたねー。
数字の制限は強烈ですわ。
 
でも出ていく金額は変わらない。
さて、どうやって生きていく?
 
あれ?
ここにちょっと違和感。
生きていくのはお金なくたって生きていけるさ。
どうやってでも死ぬって決めない限りはたぶん生きてる。
 
今の生活はキープできないかもしれない。
変化が起こるかもしれない。
ただ、それだけだ。
 
ではどんな最悪のストーリーが考えられるか。
 
・この家の家賃が払えないと退去を迫られる。
・税金やら光熱費やらの支払いが滞り督促状がいっぱい来る。
・猫を飼う余裕がなくなって手放すかも。
・食事を買うお金がなくてヒモジイ思いをするかも。
・ローンに手を出して返済に追われるかも。
 
うーん。これでは不快感全開!ってほど不快じゃないなぁ。
どれも回避できそうなことばかりだし…。
 
家賃はもう支払ったし、税金はまだ分割払いで猶予があるし、猫は最悪子どもの家に連れてくし、食事はあまり日ごろから食べないし、ローン支払いは経験あるから大丈夫って知ってるし…。
どうにもこうにも!ってなったら働けばいいし…。
 
あ~。不快感全開ってどうやったら感じるん。
回避策が思い付かないようにしたらいいの?
不安感に浸ろう!ってするんだけど、でもすぐに大丈夫だもん♪って気持ちが湧いてきちゃう(笑)
 
そのくせ、あーどぅしよどぅしよ…って不安感もグルグルするw
グルグルのたびにプロセスするんだけど、したら気持ちよくなるんだけど、またグルグルしちゃう(笑)
んでまた「でも大丈夫♪」って浮上してくる(笑)
まぁ忙しいことで!w
 
そして、重要なファクターを見逃していたことに気付きました。
 
それは。
「感謝が足らん」(爆)
 
おおお!もっとも重要なファクターではないかッッ!
感謝の表現、感謝の依頼、創造物に感謝。
これがねー。真実味を込めて心の底から!というレベルになってない。
 
不足感・欠如感・不安感からこれをやっても絶対無理。
manaさんのいう「満ち足り感」でないと!
ああなんて満たされているんだ!なんとありがたい!素晴らしい!
そのくらい本気で思ってないと。
 
いや、そう感じてるんですよ。普段は。他のことでは。
だけども、ことお金のことを考えると急激に欠乏感にすり替わる。
まだまだでんな。ココでんな。コレですがな。
 
感謝ってほんと大事やわ~。
でも感謝って「する」ものじゃなくて、湧いてくるものだからね。
不自然な感謝なんてしてもあまり意味がないしね。
あああ!ありがたい…!と湧きあがる感謝。
ここにフォーカスして感じ尽くしてみよう。
 
しかし、世界的には大規模な金融崩壊が先駆けて欧米方面で発生しているようで、その波は近々にも日本に到着するんじゃないかと思われる状況で。
さすれば、お札が紙切れになるやもしれず(笑)
 
はて?このプロセスは意味があるのかどうか?という気もw
ま、そんな世の中が来たら来たで、その時の流れに乗るだけですが。
でも今は出来る限りのベストを尽くそうかね。
 
でももしそうなったら、今の価値観は見事なほどにひっくり返るだろうね~。
ほとんどの会社の仕事は不要になるような気もするし、まずお金のために骨身を削って働く必要がなくなるし、そうなると人生においてのプライオリティががらりと変化するだろうしね。
 
お金を儲けるためじゃなく、何のために生きているのか。
多くの人が気付き始めるだろうね。
楽しむために、自分らしくあるために、生きてるってこと♪
ただし気付く気のある人はね。気付きたくない人は気付かない。
 
 
 
…あ、ただいま緊急速報が入りました。
 
未確認情報によりますと、7月9日の午後11時から午前1時にかけて、世界各地で未確認飛行物体、いわゆる小型のUFOが低空飛行デモンストレーションを行う、という情報が入っております。
なおこの作戦は他の進行具合によって変化する、とも伝えられております。
 
ご興味のある方は、来週月曜日、夜空を見上げてみてください♪(笑)
見えた人いたら教えてね~♪わくわく♪ 
 
私はもちろん見る!雨でなければ!(笑)

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2012年6月26日 (火)

★マネーゲーム、佳境かッ!

すっごい焦りの気持ちが湧いてきました。
それは「制限」を表わす「数字」を直視したからです。
そこにはたっくさんの卵が仕込まれていて、何度プロセスをしてもまだまだしつこく卵が残っています。
(言葉については『マネーゲームから脱出する法』を参照のこと)
 
いえね、失業保険をもらいに行く日が近づいてきてですね。
資料とか再度確認をしてですね。
月末なんで家賃を振り込んでですね。
銀行口座の残金などを目にしてですね。
 
おおっ!となったわけです(笑)
 
でもこれは制限の表わしただけの数字なので、恐るるに値せずなんだけど。
でも、でも、でも…。
  
怖いさー!そりゃー!
あといくらかで持ち金がなくなるってさー!
 
だけど現実には1カ月は暮らせるお金はあるし、その後も保険が入ってくるし、今すぐどうのこうのという状況ではないですね。
ただ、その数字に縛られると、これからはもうちょっと節約しようだの、外食は控えようだの、お出かけは近場にしようだの、こう、収縮方向に気持ちが向いてしまうのです。
ちゃうちゃう。
そっちとちゃう。
 
自我ちゃんが恐れる気持ちもよぉ~くわかる。
今までのハウツーならこりゃ非常事態宣言だもの。
今日はずっと焦りのざわついた気持ちが収まらず、何も今日焦ることもないんだけど、行動を自粛してしまう自我ちゃんがいるのを発見。
 
でもちゃうねん、そっちちゃうねん。
 
そしてまたなんとかしよう!とするのも違う。
ちょっと焦った自我ちゃん、求人サイトなんかも急に見てみたりしたんだけど、奥底ではまだ仕事に就くという行動を起こす気持ちが湧いてこない。
時期はまだ、みたいなんですよねー。
 
なのでまぁとりあえず、自我ちゃんを静めて、じっとたたずむ。
 
そしたら、許可しろと。
広大無辺にアクセスすることを許可しろ、と。
自分、まだ許可してなかったみたいっすf^_^;
許可します!許可!許可ッ!はぁはぁ。
いやその焦ってる人は自我ちゃんですよね?
 
そうでなくて。私利私欲ではなくて(笑)
 
緊張が緩んできて、感謝が湧いてきて、安心感に満たされて、それから許可が有効になるんだよね。
もうちょい緩んでから再チャレンジしてみよう。
 
先ほどボーっとしていたときに、私の財布の底がポンと抜けて、その先が広大無辺に繋がっているビジョンが来ました。
財布に手を突っ込めば、いくらでも取り出せる世界。
そっか、そこから取り出せばいいだけなんだ、と理解。
んだけども、まだこびりついた恐怖心があるんだよねぇ。
これ、厄介なんだよねぇ。
 
崖っぷちから飛び降りる勇気、ここに必要なのか。
実は目に見えない橋がかかっていることを信じて。
インディ・ジョーンズの世界(笑)
 
ミラクルが起こる♪
それはもう確定しているはず♪
ただ実行に移すだけ♪
 
そこまではわかってるんだよー!
分かってるけど腑に落ちてないってことだよね。
エネルギーが循環しているの、それも体感してるんだけどね。
 
ほんと、「お金」ってものの特別感、強烈ですなぁ…。
どんだけ力与えてるんだろう。
まぁ手ごわいったら。
 
私、絶対これ楽しんでるよね。
スリル満点だもんね。
 
いやーもぅースリルいいっすわ、いらないっすわ。
はふーーー(´-`;)
 
さて、プロセス。プロセス。
再読しよ(笑)
 
 
 
**追記**
どうやら28日までは、怒りや恐怖、焦燥感が出やすい時期のよう。
天王星と冥王星だっけかが90度を作りエネルギーが緊張するとかなんとか。
 
この時期には心を落ち着けて、瞑想などがよろしいそうです。
久しぶりに瞑想しよかな。
 
あ、ビール飲んじゃった(笑)

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2012年5月 9日 (水)

★750年前と750年先

それはね、すぐそばにあるよ
一生けんめい探さなくても
 
金色の光の中にも
垂れこめた雲の中にも
 
そして何よりあなたの中にも
 
実はね、全部そうなんだ
上手く隠したでしょ?
 
花が咲いたときにあなたはそれを感じてる
葉が散ったときにもあなたはそれを感じてる
鏡で自分を見つめたときもあなたはそれを感じてる
 
気付いてないと思っていただけ
 
 
と、なんとなく詩人のようなハイヤーさんですが。
 
先ほど記事を半分くらいまで書いて消しました。
そしたら今読んだ黒斎さんが、ほぼ同じようなことを書かれてました。
シンクロー♪
だから、書かなくっていいか~(笑)
 
ということで、今ニューアース再読が静かなブームのようなので、私も読んでみたいなぁ~と思いつつ、別の本を読んでいます。
それがまぁ難解な内容で。
 
何を読んでいるかというと、「ウイングメーカー」
750年先の未来人が人類発展に寄与するために、手がかりとなる遺跡を残していった・・・という始まりで。
2005年くらいに単行本で出ていたのが、新書版になって再登場ということで買ってみた。
 
大いなる意識について科学的アプローチ(?)な言語的追求方式で書かれていたりするので、はぁ?えぇ?どういうこと?って何度も行きつ戻りつするため、進みません(爆)
 
でもさ、想像してみたら鎌倉幕府の頃に、今の文化とか社会とか意識とかを話して聞かせようと思ったら、絶対当時の人は、はぁ?えぇ?どういうこと?って反応すると思うw
 
まぁそれに近い状態といいますか。
 
にしても意識上は、その頃の民衆と今の私たちってそんなに変化してないよね。
 
衆生みな救われると南無阿弥陀仏を唱えて往生することを祈願していた人たちのいた時代。 
何かを唱えると救われる~という宗教、今でもありますよね。
それさえ言ってれば大丈夫、神頼み~みたいな。
 
でもこれから先の750年間はとてつもなく価値観が変わっていそう。
本来の神性とは何かを当たり前に知っている段階というか。
ガラリ!というくらいにたぶん変わっている。
 
その分岐点に今、私たちはいるんでしょうね。
面白い時代だよね。
このガラリと変わるさまを見たくて、私たちは今ココにいるんでしょうね。
いつか、体験談としてレポート提出するんでしょうね。
 
…誰に?(笑)
 
 
さて、続き読もうかな。また寝ちゃうかな?^^;
数ページですぐ眠れるんだよ、いい睡眠薬w

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2012年5月 2日 (水)

★タオ・コード

粉末青汁を豆乳に溶いて飲むのがお気に入り♪
案外いけますぜ。
 
では、読書感想文の提出をします(笑)
 
『タオ・コード』、友達がいいよと言っていたので読んでみた。
なるほど性について書かれているんだけども、これは大いなるもの、ひとつなるものを日常として生きている人たちのお話だね。
 
これ、わの舞の千賀さんの本だったんだ、と後で気付いた。
だからわの舞なんだ…って。
 
この著者が言っている一体感、あなたも私で私があなたの中にあり、すべてが繋がっている感覚。
アーユルヴェーダでいうところの、宇宙意識・神意識の次の統一意識。
老子が老子書に二重の意味を込めて、ある語を借字として(違う意味を掛けて)使っているという「暗号」を読み解くと、表向きとはまったく違った解釈ができる、というもの。
もうこれから誰かが「道徳観」とか「道徳的に」とか言ったら、ほくそ笑んでしまうかもしれない(爆)
 
ほんとに、数千年に渡って人類というのはゲームをし続けてきたんだね。
お金も思想も生き方も、全部、自分以外の誰かに委ねてしまって。
そしてそれを利用したい人たちは、いい具合に委ねさせるように、気付かれないように忍びやかに人々をコントロールしていた。
 
ふとその策に気付く人が出てきたとしても、存在さえも抹殺して闇の中に葬られる、という憂き目にあわないように、老子は読み解く鍵をひとつの村に託し、誰にもわからないようにして、世に広めたんだね。
 
その村は、「神との対話」で神様が、「地球上にも目覚めた人たちの住むところはあるよ」と語っていたけど、現代人とか文明社会とかが滑稽に思えるほど次元的に進化した人たち。
 
肉体のエネルギーを自然の中で表現する。
それが出来るのは自然の中にある精霊のおかげと感謝をささげる。
そのように日常を生きているから、自分が成し遂げたこと、自分の欲を満たす、そういった思考回路にならず自然の精霊によって生かされていると感じられる。
また、他の人も自分と同じであると感じられる。
 
これは、私たちが言っている日常とはまったく別次元ですね。
次元が違う。
 
先日、久しぶりに味わった統一意識。
あの状態のときは、次元が違う。
全然、違う。
個が消える瞬間。
 
あの状態にすぐなれる意識状態で暮らしているということだろうな。
それならば恍惚とエクスタシーに浸れるというのがわかる。
自然のなかで、ヨガに似たヤーマという祈りを捧げている村人は、恍惚とした表情をしていた…と。
そりゃそうなると思う。
 
そこにフォーカスして生きている人たち。
そういう社会が作れるんだって、すごい希望だと感じました。
 
今のこの現状をじょじょに変えていくってのは相当骨の折れることのように感じるけど、それは私たちが自力ですることではなく、宇宙のエネルギーが増大しているらしい今、宇宙の作用によって変化が起きてくるときなんだろうな~って感じます。
自分が頑張ってする!なんてたかが知れてるからね(笑)
 
私たちに出来ることは、流れに逆らわないってこと。
そうしたらスムーズに変化が起こると思います。
 
ただ、性によってのみ可能!と思い込むこともないかな。
統一意識の至福感は性の至福感の比ではないと感じるし。
アナタとワタシの一瞬の時だけではなく、存在している全てに対して至福であり、それがしばらく収まらず高揚感として続くから。
本当はずっと続けばいいんだけどね(笑)
 
その根本を押さえこまれることによっての弊害は甚大なものだとは感じるけれど。
回り道なのかもしれないけど、登山ルートがいろいろあるように、他の道からも登れるとは思う。だけど、他の道から登っても、行きつくところは一緒で、自ずと性の目覚めというか解放は起こると思う。
どちらが先か?の感じだと思いました。
 
まぁ我々が性行為だと思っていることと、あの村人たちのとは、意識状態も集中するポイントも全然違うと思うので、セックス自体をツールとして使いこなせる意識状態になれれば、意識の拡大に有効に使えそうだとは思う。宇宙との一体儀式として捉えられるくらいまでね。
それらをタントラと言うのかもしれないけれど(詳しくはないのでわからないw)、でもまず意識状態があっての行為だろうね。
動かないとか射精にこだわらないとか、形から入っても違う気が…(笑)
 
性を尊ぶ意識は、昔はそうだったみたいだよね。
巫女さんが宇宙の依り代として、セックスを儀式としていた歴史もあるようだし。
もっと尊いものだったと思います。
今の社会の認識が大いに歪んでいると思います。
それは、本を読む前から感じていたけど、改めて具体的にそういう意識状態の人たちが存在すると知った感じです。
 
日本の縄文文化も、こんな感じだったんだろうな。
ということは次回以降の弥栄塾にも興味津々だなぁ…。

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2012年3月21日 (水)

★再読・『富と成功をもたらす7つの法則』

以下は、ディーパック・チョプラ氏の『富と成功をもたらす7つの法則』の7つの法則と各章の初めに書かれた文章です。
 
1.純粋な可能性の法則
宇宙と一体になればすべてが実現できる

すべての想像の源は、純粋意識です。
純粋な可能性が、実現していない状態から実現に向けて、その表現方法を模索しているのです。
そして私たちが、真の「自己」とはその純粋な可能性の一部であることに気がついたとき、私たちは宇宙の中ですべての物事を実現させているパワーと手を組むのです。
 
2.与える法則
自分が求めているものを与えなさい

宇宙は力の交換をつうじて作用しています。
与えることと受け取ることは宇宙の中のエネルギーの流れの異なる側面です。
そして自分が求めるものを他に与えることによって、宇宙の豊かさが私たちの人生の中で巡り続けるのです。

3.原因と結果の法則
よい選択がよい人生をつくる

一つひとつの行動が、エネルギーを生成し、似たようなものを返してきます。
私たちは自分が撒いた種の結果を刈り取るのです。
そして、私たちが他の人に幸せや成功をもたらすような行動をとるとき、その行動のもたらす果実も幸せと成功なのです。

4.最小限の努力の法則
苦労しなくてもこうして自然に叶う

自然の知性は努力することなしに機能しています。
心配したりせず、ただ調和と愛とともに。
そして、私たちがこの調和や喜びや愛の力を使うとき、楽に、努力せずに、成功や富を創り出すことができるのです。

5.意図と願望の法則
宇宙の“無限の組織力”をどう活かすか?

一つひとつの意図や願望に備わっているものは、それ自身を叶えようとする力学です。
純粋な可能性の場の中において、意図と願望には無限の組織力があります。
そして私たちが純粋な可能性という肥沃な大地に“意図”を植えるとき、この無限の組織力が私たちのために働いてくれるのです。

6.手放す法則
執着しないほうがうまくいく

手放すことは不確実性の英知にもとづいています。
不確実性の英知は、過去からの自由、既知のものからの自由、つまり「過去の制約」という牢獄からの自由にもとづいています。
そして私たちが未知のもの、すべての可能性の場に足を踏み入れようとすることは、宇宙全体のダンスを指揮している創造的な心に身を任せることなのです。

7.人生の目的の法則
自分にしかない才能を活かして生きる

誰にも人生の目的があります。
それは、それぞれもって生まれた独自の素質や特別な才能を他の人たちに与えることです。
そして、私たちが自分の独自の才能を他の人たちへの奉仕と混ぜ合わせたとき、私たちは、すべての目的のうちの究極の目的である、自分のスピリットのエクスタシーと歓喜を経験するのです。
 
 
 
数年前に一度読んだきりになっていたので、再読しました。
今読み返すととても腑に落ちます。
そしてこの内容は、他のいろんなものとリンクします。
 
ザ・マネーゲームから脱出する法も、この内容を違うワークで体得する手法だとも言えます。
 
不要な執着に力を注ぐのをやめ、意図を宣言したら手放し、あとは宇宙にお任せしましょう…ということです。
 
マネーゲームは意図するというところが、「本来の自分」をもっと表現していく、という少し曖昧な表現になっていますが、それが実はオールマイティでもありますよね。
ひとつの意図に絞ると、特定のパターンという制限を創るということにもなります。
 
 
そして、ふたつの質問が書かれています。
 
『もしお金の心配をしなくてよくて、膨大な時間とお金があったら、何をしたいですか?』
 
『自分はどうしたら、もっとも人類の役に立つことができますか?』
 
一つ目のはロバートさんも書いていましたね。
二つ目のはmanaさんは、弥栄に忠誠を尽くすには?と書かれてますね。
 
エゴ(思考・マインド)からではなく、スピリット(魂・ハート)の望みはなんですか?ちゅーことですね。
 
自分を制限なく自由に表現したい、というときの「自分」は自我的自分ではなくて、本来の自分ですよね。
プロセスでも「本来の自分をもっと表現していく」という一文ですね。
 
すべてクロスオーバーしてリンクして、同一の方向を向いている。
指し示されている方向は、同じだ。
 
ていうことで。
ワタクシの進む方向はこっちということで。
このままわくわくする方向へ、るんるん♪と進んでまいります~♪

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2012年2月27日 (月)

★第1段階と第2段階の違い

「わたし、少しだけ神さまとお話できるんです」を読み終わりました。
やはり、内容的には少し第1段階的でした。

でも、言い方は違うんだけど、ロバート・シャインフェルドさんと共通することを言っているように、私には感じられました。
どのフィルターを通すかで表現が異なる、という違いだと。
 

たとえば、お金について。

井内さんは、「人に与えられる額と同程度が自分で使える額」といいます。
 
100万の月収があったとしても、10万しか人に渡すことをしなければ、自分に対して使う額は10万が妥当だそうです。
自分のためだけに50万も60万も使って、人に感謝の気持ちを10万程度しか表すことをしなければ、それは「ケチ」という部類に入るそうです。
そしてそういうケチな人を神さまは嫌う、と。
 
そういう論法で行くと神さまに好かれるためには、月収20万だとしたら、5万は家賃、光熱費等々で2万、食費で3万使っていたら、あとは全部人に感謝の気持ちとして渡さなければなりません。

だってすでに10万は自分のために使っているもの。
 
そんなぁ、ちょっと必要経費分くらいは省いてくださいよぉ。
まぁキッチリと半分は他人に提供しなさい!とは神さまも言わないでしょうけど(笑)
 
そこで、はは~んそういうことか!と。
 
「マネーゲームを脱出する法」では、支出に対しての表現を変えましょう、と書かれています。
請求書は「感謝の依頼書」
支払いは「感謝の表現」
 
そういうことです。
 
必要経費で出て行く10万円は、自分のために使ったお金と捉えるのか、感謝の表現として心をこめて渡したものだと捉えるのかの違い。
 
出て行くお金を感謝の表現であると心底思えていれば、すべて他人への感謝として渡す額になるわけです。
 
そうしたら、どうなりますか?

 

自分の欲のためだけに使うお金というものは、存在しません。
美味しいものを食べたい!と思って、食べた食べた!と満足したあと、請求額通りに支払うのか、美味しいものを食べさせてもらってとても嬉しいかったので感謝を表したいと渡すのか。
 
やってる行為は一緒です。
財布から一定額を出して渡します。 
でも、渡すときの気持ちが違います。
それだけの違いです。
 
2冊の本に書かれている違いは、それだけです。
 
それが実は決定的に違います。
 
たぶん、神さまの言ってることは同じです。
表現の仕方が違うだけです。
だけど、決定的に違います。
 
同じことの、裏と表ほど、違います。
 
「あぁこれは自分の欲のために出した支出だなぁ、これじゃダメだ、誰かに感謝の気持ちを表さなくては!」などという思いが湧きおこる瞬間があるかないかの違いです。
「感謝の気持ちが表現できた、良かった。」という打算が働く隙間もありません。
 
もちろんそういう意図を持って書かれているとは思わないです。感謝というのはうちから湧いてくるものです、と書かれています。
しかも「神さまは打算などはお見通しなので、そういう気持ちでいればまったく通用しません」と書かれています。
でも思考というのは、そういう部分を敏感に利用します。
すぐに自己否定の道具にすり替えてしまいますから。
 
そんな隙間のない第2段階的アプローチ、意識がすべてを創っていると体感していけばいくほど、打算とか自己否定とか要努力とか、第1段階的アプローチが不要になってきます。
 
ただ、感謝であればいい。
それだけです。
 
今までだったら、そうしなくちゃ…とまた新たにルールを創造していたことでしょう(笑)
でも、「ん?ちょっと待てよ?」と気付くあたり。

いやぁ実に面白かった。

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2012年2月26日 (日)

★「わたし、少しだけ神さまとお話できるんです。」

はい、本日2個目の記事です。

 

『わたし、少しだけ神さまとお話できるんです。』井内由佳

本屋さんでふと手に取った一冊。

この井内さんはサニワ(審神者)としての才能が25歳のときに目覚めます。
その神様はコノハナサクヤ姫。

その経緯も書かれているのですが、幸せになりたいと願う人たちの相談に乗って神様の言葉を伝えるということをされていて、その中で共通の事柄があることに気付き、多くの人が求める幸せとは何か、どうすればそうなれるのか、を書かれている感じです。
(まだ全部読んでないので…w)

そしてね。
この本の内容的には、うんうんそうだその通り!なことが書かれているのですけども。
そりゃ神様の言葉を伝えてらっしゃるんだから当たり前なんだけども。
なんだか、この本というか、私の読み方が変わってきたからなのか、エネルギー的に伝わってきます。

ハートがグワーンと響くというのでしょうか。
文章はいたって当たり前に普通のことが書かれてるんですよ。
人の悪口を言わない、とか。
感謝の気持ちを持つ、とか。

でもなんでしょう、この感覚。
読んでいるうちに、勝手に感謝や幸せ感が湧いてきます。
あるページでは、なぜかスーっとエネルギーの漏れて行く感触がします。
 

ただ少し、相談者が持ちこんでくる相談内容を基に書かれている部分があるので、純粋に神様の言葉だけというよりは、相談に対応するために装飾された言葉に置き換わっている部分があります。

もともと神様の言葉は、問わないと返ってこない性質のものが多いから、そうならざるを得ないのでしょうけども、少し風味が第1段階向け(現実社会・物質社会向け)な感じがします。純粋な神様の意識はほとんど現世利益には対応していないから、そういう書き方になるのだとは思いますが。

だけども、本質の部分では「愛」に基づいて書かれている感じ。
勝手にハートが開いていくのと、そのエネルギーがそう感じます。

こんな風に本からエネルギーを感じて読むのなんて初めて。

この感触、オモロイのでとりあえず最後まで読んでみます♪

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2012年1月28日 (土)

★やっとわかった!プロセス

まぁそんなわけで、あと10分の1を残すくらいまで読み進みました。
 
おなすさんがプロセスプロセスって言ってて、なんじゃそれ?って思ってたけど、このメソッドのことなのねー。
 
すごく具体的にわかりやすく方法が書かれているから、それに沿ってやればやりやすいってことですね。
 
でも、曲りなりにも今までやってた。
でもそれだけじゃダメで、力を取り戻さないとアカンみたい。
 
ハイヤーさんがお風呂で≪ペンジュラムを使いなさい≫っていうから、風呂上がりにまず自分の位置を確認するために検証を行いました。
 
現在の私は、第1段階ではないそうです。
すでに第2段階に入っているようです。
でもまだ脱出はしていないようです。
なので、このメソッドは必要なようです。
 
はっきりとYes!って揺れたよ(笑)
 
ハイヤーさん曰く、≪まだ観念を手放しきれてないでしょ?≫って。
手放すべき観念は解ってるけどやり方わかってないでしょ?って。
はいその通り(^_^;)
 
なので、とてもシンプルでやりやすいから、使いなさいってことみたい。
 
もうすでに、今まで感じていたあの不快感やこの不快感をまた味わうようなシチュエーションが来るわけ?ってビビっていて(笑)
さっそくその恐怖感にプロセスを使いなさいってことみたい。
 
ていうか昨日・一昨日くらいのだったら、いくらでもカモン♪って感じだけど、ちょっと前のズドーンとか、ずっと以前のズブズブズブだとか、もっと前のペッチャンコだとか、あんなの来たらイヤだなぁ~って、ほらもう拒否感が…(笑)
 
そこまでのは来ないって?ほんまにほんま?
ペンジュラムに聞いたら、その恐怖感にプロセスをしろというので。
 
まず、やってみました。
いやだ、あんなの来たら絶対イヤだ、もうあんなの味わいたくない!
いやだ~ッッ!
 
すると…
 
あら。そうだった。
もう私、第2段階なんだった。
だったらもう同じことが起こっても、あのときのように第1段階的反応をするはずがないので。
あんな想いを再び抱こうにも抱けない人になっていたんだった。
あーそうだそうだ、そうだった。
 
というわけで、その恐怖感から力が戻ってきて、光が満ちてきて、ぶわわ~んと広がりました。あー爽快♪
もうスッキリ。
 
気持ちイイね!これ♪

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2012年1月27日 (金)

★だからまだ読了してないっつの!(笑)

今日も、また。
 
これだ、これですよね!というくらいにわかりやすいホログラム投影映像をみせてくれまして。
もう騙されません(笑)
あーこれもだ。
 
だから、まだプロセスの章まで読み進んでないんだってば!
でも以前の第一段階反応レベルでは、おそらくこういう反応をしただろうな~ってことまで見える。
なのでそのループには嵌らないので、離れたところから映像を眺められる。
 
そして、このシチュエーションを組み立てた本来の私っていうかハイヤーさんだろ、もうバレてるもんね~♪
いろいろ場面設定してくれてありがとうね!
すごいよね!リアルに感じるよ~。
てなもんです。
 
そこに力を注ぐことはありません。
感情が動いて、ムカッとしてる自分も見えています。
ほほぅ、ムカついてるな~なんて眺めています。
 
で、最終的には面白いもん見せてくれてありがとう♪という気持ちで終了しまして。
後日、ボスからのダメ出しという形で、再び同じようなシチュエーションを展開してくれることも、もう見えています。
その時にもまた同じように、ホログラム投影を実感できるのでしょう。
たぶん、またオモロイもん見せてくれてありがとうってことになるんだろうなぁ。
ほんと、面白い。
 
そしたらその後、ちゃんとご褒美もくれました。
 
ブルさんとtakuyaくんが、物陰から覗いていました(笑)
 
3人で話をしている時の空気感。
二人の今の波動と、ちょっと前の旧型波動。
この全然違う、どちらを創造するの?ってことだよね。
ほんとに、まったく違う。
時代の移り変わりを目の当たりにしたような気分でした。 
 
そしてそれを創造するのは、私なわけなんですよ。
 
そんでもって、さっそく豊かさもきました。
ホログラムルーティンから離れた位置に居れたからかも。
 
昨日、給料をあちこちの口座に振り分けました。
ひとつの口座に入れたのを仮に10万とします。
そしてそこから今日、支払のために3万出したとします。
で、残高は、10万でした。
 
減ってなかったの。
え?と思いました。
 
これを今までのホログラム思考なら、元々3万あるところに10万を入れて、13万あったんだ。だから3万だしても10万残る、当たり前の話だよね、って自分を納得させますよね?
 
でもわざわざマイナス思考をする必要もない。
 
すごい!これは減らない口座なんだ!
 
だってその時の私には「元々入っていた3万円」は存在していないもの(記憶にないもの)なんだもの。
なので、無から有が生まれたんです。
知らない間にお金が生まれたんです。
すごいと思いません?
 
しかもこの数日の間に、整理していた封筒から数千円、郵送で送られてきた小切手、ポーチの中に数百円と、次々に思いがけないお金が発生しています。
 
単に忘れてただけでしょ?
送られてくる予定のものが届いただけでしょ?
小銭必要だからって以前に入れたものでしょ?
 
かもしれません。
だけど、記憶にないものは、「ない」と同然なんです。
そこにいきなり「発生」したのです。
これってすごくない?しかもこのタイミングで全部一緒にだよ?
 
なので結局、3万円(仮)が出たよりも多く戻ってきました。
 
ねぇ、これすごくない?(笑)

もしかしたら、読了前にもうマネーゲームから脱出してる?(爆)
いや先を読みたいねん、読ませてください。
シチュエーション、先走りすぎだからww

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