★良かれという大罪
【「良かれ」という大罪】
子どもの為を思って。
友達のことが心配で。
この行動は、とても罪が重いです。
他人を束縛する行動です。
それも自分の欲求を満たすための行動。
相手の自由意思を奪う行為です。
「良い」と思ってるのは誰ですか?
相手が良いと思ってたらあなたが言う前にそうしてますよね。
そうしてないから、言いたくなるんですよね。
「こっちの方が良いから」と。
疑問に思ったら「なぜそうするの?」と問えばいいんです。
その後で私だったらこう思うと意見交換をすればいいんです。
相手が受入れようが拒否しようが、伝えたい思いは満たされます。
でも「良かれ」は違います。
相手に自分の基準に則った行動を強制したり、自分が先回りしてそういう流れになるように捻じ曲げたりします。
正しいと思う自分の欲求を満たすために。
独りよがりな発想です。
ほっといたれや。
やりたいようにやらしたれや。
失敗する自由を与えてやれや。
失敗しなければ気づけないことがある。
先回りは気づきを奪います。
「お願い、教えて」と言われて初めて口を開け。
機転でとっさに「こっち!」と口をついて出るときは止めません。
いつもいつも心配して、あーしろこーしろと言いたくなる、その行為を言ってます。
心配とは「あなたを信じてません」という宣言。
あなたの実力を見くびってます、という宣言。
私の方があなたより優れています、という思い上がり。
とっても残念なエネルギーの使い方ですね。
信じるというのも、できるかどうか定かではないけどそうであってほしいという程度。
「知ってる」という態度。
あなたはそれができることを知ってる。
神がいることを知ってる。
なんでも叶うことを知ってる。
根拠がなくてもそうなると知ってる。
それが力強い宣言です。
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