★それはただの反応
ここのところの投稿は、言葉が少しキツく感じた方もおられたんではないでしょうか?
もっと思いやりのある言い方が出来ないの?と腹立ちを感じた方もいるんじゃないかと思います。
でも同時に、そうそう♪そうだよね〜と共感したり、それほど苦痛に受け取られなかった方もおられると思います。
その差は何か。
反応、なんですよ。
イラっとしたり、グサッと来たり、悲しくなったり、目を背けたくなったり…
っていうのは、そこに反応する思い込みを持ってますよのサインです。
ずっと頑張ってきた人に「努力なんて必要ない」と言ったら。
我慢を重ねてきた人に「我慢は美徳でもなんでもない」と言ったら。
女性性を受け入れられない人に「それただの思い込み」って言ったら。
『そんなことない!』という反発や、わかってもらえないという悲しみや、何よわかった風なこと言ってという怒りやら。
それらを発信している元が、その思い込みのある場所です。
心がザワザワしたのなら、なぜザワザワするのかをジーっと眺めていく。
どこが嫌だと感じてるのか。
何を守ろうとしてるのか。
どうであったら苦しくならないのか。
頑張ったねと言われたいのか。
慰められたいのか。
受け入れられたいのか。
そっとしといてほしい、は除外。
それはまたここに蓋をつけるから見ないでね、ってことだから(笑)
もう見ちゃったんだから、ね(^^)
諦めよう。
これが、いつもセッションでお伝えしてる、自分を客観的に眺めるっていう手法です。
動いている感情を眺めるんです。
どう反応を返そうとしてるかを眺めるんです。
ずっとジーっと。
往往にして心に重い蓋をつけている人は、カラ元気というのか常に明るく振舞おうとしたり、周りの人にこれでもか!というくらい気を配ったりします。
見られたくないから。
蓋の中身を。
そうやって気づかれないようにやり過ごすことを繰り返しているうちに、自分でも気づかないことにしちゃってるんですね。
でも自分が隠してることは知ってる。
そしてそこにグサッと直撃が来ると猛烈に反発する。
それ、ただの反応なんです。
それを、見つめて行くんです。
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