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2012年6月 8日 (金)

★「裸を見ること」の心理学的な意味

興味深い研究があって。
 
「裸を見ること」の心理学的な意味
 
同じ人の顔だけの写真と、体まで写った写真で、受けるイメージがかわるというもの。
詳しくはリンク先を読んでいただきたいが、顔だけだと「思考」で相手を見、体まで見えると「感情」で相手を見るという。
 
そして、書かれていたのは、「思考」と「感情」は両立しない、と。
どちらか一方が優位であれば、他方が減速している。
思考を優位に働かせながら泣くとか怒るということは難しく、逆も然り、笑いながら一生けんめい考えることはなかなかできないということだ。
 
また別の言葉でも表わされている。「思考」と「経験」。
思考しながら経験はしにくい。経験しながら思考は働きにくい。
 
そして最後にこう書かれている。
『驚くことは、これらの異なった精神能力がたやすく切り替えられることだ。ちょっと肌が見えるだけで、「思考する者」は「感ずる者」へと変身するのだ。』
 
 
自我(思考、マインド)を黙らせたい。
そうやって悪戦苦闘することが多々あるけど、それがいとも容易く切り替えられると書かれている。
 
人間の脳は勝手に切り替えをしてくれているということ。
ある刺激を与えると思考は止まると。
その刺激って何?というと、感じること。経験。
 
頭がもやもやするときに掃除をしたらスッキリするとか。ご飯を食べたら悩み事が軽減されたとか。
知らずと思考から経験(感情)へとシフトしていたわけだ。
 
 
そしてもうひとつ、裸を見たら思考が止まるという点。
 
いろいろ考え事しながらセクシャルな行為をすることって、結構難しいというか普通できない。
感じること、経験することがメインアクティビティだと思う。
 
すると、スピでいう、思考を使わず今ここにある状態(感じる)に自然とシフトしているのでは?タントラやタオコードやガイアの法則が、ここを指し示していることの意味が端的にわかる。
 
現代の、セックスを低次元な動物的本能行為と決めつけるように誘導されているのは、社会の通念によるもの。
本来は生を表現するもっとも根幹的な創造の行為で、その結果として人間が誕生するという神秘的なものであるはず。
 
そしてそれは、思考が発生しにくく経験(感じる)を優先するための有効な方法であって、「今」に留まる有用な手段であって、まったくの無我状態さえも作り出せる経験となる。
 
悟りとかワンネス感覚は、無我の状態ですべてがひとつであったということを感得する体験。
思考じゃなくて体験として得るもの。
その状態に近づく、とても有効な方法であるのが、セックスだと考えてもおかしくないということではないだろうか。
 
私たちの体はちゃんとそういう方向性を持っていて、脳の働きさえもその方向性と同調しているというのはとても面白い。
そして理に叶っている。
 
本当によく出来ている。誰が創ったんだろうね?

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コメント

おもしろい!!!!!

だから発作が起きるんだ(笑)

実は正常だったんだなと腑に落ちました、ありがとー(爆)

投稿: みーくん | 2012年6月 8日 (金) 23時48分

みーくん♪
 
発作起こってたの?(笑)
そうなんです、正常だったんですw
 
ちなみに今日も岡山を2回通過したよ。
たまには降りてみなくちゃね♪^^;

投稿: mie | 2012年6月 9日 (土) 23時51分

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