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2011年11月23日 (水)

★娘の死だけ書いてみた(長いよ)

子どもが死んだ経験ってあんまりないよね?
そこんとこだけでも書いてみようかな?書けるかな。
シンミリ系がお好きでない方は読み飛ばしてくださいね♪
 
 
 
陣痛が始まり入院して、14時間かけて出産した。
生まれた子どもを助産師さんは抱えてどこかに行ってしまった。
初産だったので、そういうもんかと思った。
私は緊張の力が抜けて寒くてガタガタ震えていたけども、やり終えた充実感で晴れやかな気持ちだった。
 
「おかあさん、ちょっとお子さんの具合が良くなかったので保育器に入れてますが、大丈夫ですよ」と言われた。
 
しかし、2日たっても3日たっても出てこない。
そして退院の前日、夫が先生に呼ばれた。
ひきつった顔をして病室に戻ってきた。
「どうだった?何か言われた?」と聞いても何も言わない。
その後、退院の当日に私も一緒に…と連れて行かれた。
 
「ダウン症です。重篤な心臓病を併発しています。このまま退院してもらいますが、明日また通院してください」と。
 
え…。
目の前が真っ暗になるってこういうことを言うんだね。
 
義父の車に乗り込んだが誰も無口で一言も話さず家まで送ってもらった。
私は車の後部座席で赤ん坊を抱いたまま泣いていた。 

義母には、私の身体にもともと異常があったのではないのか?という意味あいの質問をされ。
ただでさえ目の前真っ暗の私に責任があると言われ、ただ泣くしかなかった。
 
おっぱいを飲む力さえない娘。自宅での格闘が始まった。
 
パンパンに腫れているおっぱいを絞って哺乳瓶に入れ、口に含ませても10mlも飲めない。
ずっと哺乳瓶と赤ん坊を抱えていた。
その赤ん坊は染色体異常。
私は「人間じゃないもの」を産んだのか?
飲むこともできずお腹が空いて、泣きたいのに力がないため「え、え、え、」としか声の出せない物体。
 
何これ、なんでこんなのがいるの?私が悪いの?
 
赤ん坊をゴロンと床に放り出し、異物を見るような目で眺めていた。
この現状が悲しくて泣いていた。
 
昼夜関係なくずっと哺乳瓶を握りしめ乳を搾り、それ以外の時間は病院で検査検査検査。
「え、え、え、」と泣く物体の重さを計り、まったく増えない体重をチェックして、おむつをかえる。
 
だけど。
その物体は、私を見て笑った。
 
ニッコリと私を直視して、私を求めて、満面の笑みで笑ったのだ。
 
病院通いで疲れ果て奈落の底に落ちていた精神が、その赤ん坊の笑顔でガツーンと殴られたように目が覚めた。
 
ああああ!なんてことをしてたんだ!この子は私の子じゃないか!
動物だろうと人間だろうと、私が産んだ私の子どもじゃないか!
障害があろうと健常だろうとそんなもん関係ない、私の子どもだ!
 
初めて子どものためにわんわん泣いた。
ごめんなさい、バカなお母さんでごめんなさい、許してね、泣いていたのは自分が可哀相だったからだ、ほんとバカだね、あなたは笑ってるというのに。あなたは懸命に生きようとしてるのに。それも見ないで自分が可哀相だと泣いてたんだ、ほんとバカだ。
 
出産から2か月経っていた。
 
そこから私は人が変わったように前向きになった。
 
心臓の検査に加え、ダウン症児のプログラムがあると知り、抱っこひもで電車に乗って通った。
同じダウン症児を連れたお母さんたちもたくさん来ていて、立って歩いている子、言葉を喋っている子を見て、将来の娘の姿を夢見た。
小学校に入ったらどんなだろう、大人になったらどんな生活だろう?
ダウン症は天使の微笑みって言われるからきっと優しい子なんだね。
 
心室心房中隔欠損。
4つの心臓の部屋の血が全部入り混じり、動脈の中に静脈の血が混じるため、酸素を全身に行き渡らせることができない、心臓病でも重篤な症状。
ぐっすり寝ているともう起きて来ないんじゃないかと心配になって、顔に耳を近づけ息をしてることを確かめる。
 
そうこうしているうちに、なんと寝返りをするようになり。
うつぶせになっては喜んでニヤ~っと笑い、声をかけると「あ~う~」と返事する娘が可愛くて仕方なくなっていた。
 
その頃はすでに6カ月。
 
医師からはこのままの状態で改善が見られなければ手術するしかないと、大きな病院に変わり検査を続けることになった。
電車に乗って遠くの病院まで通った。
 
その大学病院の医師は、このまま何もしなければ1年の命。
手術をすれば成功率は50%、と言った。
 
私たちには、手足が紫色になって息をするのも大変そうな娘を、このままもっと苦しむことがわかっていて手術をしないという選択はできなかった。
 
いちかばちか。
 
体力がもう少しつくまで見守りましょうと、限界ギリギリまで待って手術することになった。
 
検査入院で娘と二人で病室に泊る。
小さなベッドで二人で眠る。
 
ベッドの柵につかまって立たせてみたら、ニカッ!!と笑いながら崩れていく(笑)
立てないんだけど、本人は立ったつもり。
エヘエヘ♪と楽しそうに笑っていた。
 
手術の日が来た。娘の手を握りしめ手術室に向かった。
その日は一日中手を合わせていた。
私には何もできない。祈るしか。
 
疲れた顔で出てきた医師は「無事終わりました。手術自体は成功です。ただ結果は本人の回復力にかかります。ダウン症児は急変することがあるのでこれから見守ります」と。
 
ICUに入れるのは、一日のうち2回だけ。
麻酔が効いて眠っている娘に近づき、手を握る。
温かい。
こんなに温かかったことは、今までに一度もない。
血が、全身に通っているんだ…。泣けた。
 
それからICUを出るまでは日に2回病院に会いに行く。
温かい娘の手足をさすり、声をかける。
一度だけハッキリと目を開けて、じっと私を見据えて、管を入れられた口から「だぁだぁだぁだぁ」と話しかけてくれた。
そのまま、すぐにまた目を閉じ眠りの中に落ちて行った。
しばらく手足を握って時間が来たので…と言われて外に出た。
 
毎日、祈るような日々は続いた。
お願いだから電話はならないで。
 
その、電話が鳴った。
 
「容体が急変したので、急いで病院まで来てください」
 
夫がバイクで帰ってくるのを待つのももどかしく、二人乗りで病院まで飛ばす。
急いで到着した私たちを待っていたのは、ガラス越しに心臓マッサージをされている娘の姿だった。
食い入るように見つめる私たちに気付いた看護師は、シャっとカーテンを閉めた。
 
ただもう茫然自失として椅子にへたりこむしかできなかった。
 
長い長い時間のあと、医師がうなだれて出てきた。
その姿で察しはついた。
 
その日はちょうど、生まれてから9ヶ月目の日だった。
 
抱き上げてもいいですか?と聞いて、もう動かない娘を抱いた。
ぐにゃぐにゃだった。
よく頑張った。よく頑張ったよ。ありがとうね!ほんとにありがとう!
そんな言葉しか出て来なかった。
 
医師は病理解剖をしてもいいかと申し出てきた。
これからの誰かの役に立つのなら…と承諾した。
だから、娘の心臓は今もまだ病院の棚の上でホルマリンに浸かっているかもしれない。
 
その病院で、身内だけの葬儀をすることにした。
医師や看護師も参列してくれて、担当医は自慢そうだった口髭をばっさりそり落とし、肩を震わせ涙を流しながら「力不足で本当にすみませんでした…」と言ってくれた。
 
火葬場で、もう耐えられなかった。
もうダメだった。
扉を閉めないで!!!娘を返して!焼かないでぇぇぇ!
泣き崩れた。もうなりふり構わず泣き叫んだ。
 
白い、小さな箱を渡された。
ほんとに小さい、手のひらに乗るくらいの。
 
どうやって帰ったかさえも覚えていない。
 
気丈に泣かずに頑張っていた夫が、家に帰って、娘をお風呂に入れるときに使っていたガーゼハンカチを握りしめ、声を出さずに泣いていた。
 
そのあとの数日、数週間はどうやって生きていたのか記憶にない。
 
ただ、ベランダに出たら、私も死のうかな…とアスファルトの道路を見つめていたりしたことは覚えている。
 
だけど私が死んだら、娘が生まれてきたことの意味がない…とうっすらと考えていた。
 
夫とも、もう二人でいる意味ないよね…と話し合ったりしていたが、別れてしまったらそれも娘がいたことが無意味になってしまう気がして思いとどまっていた。
 
そしてひとつ見出した意義に燃え始め、娘がいたことでいろいろと気付けたことを新聞の投稿などに書き送り、あちこちで採用され、これで少しでもダウン症児の誤解を解けたら…などと思っていた。
 
それから数カ月後、一人で放って置いたら死ぬんとちゃうか?と思ったかどうかはわからないけど、夫はパソコンを買うことにした。
昼間それをいじくることで、少しでも気がまぎれるだろうと。
 
そしてそのパソコンが届くというその日、阪神大震災が起きた。
明け方のものすごく大きな揺れ。ゴゴゴゴゴ!という地鳴り。
 
その直後にテレビに映し出された光景。
とんでもないことが起きてる。
 
それでも私は生きている。
これは生きろってことだ。
 
生きる決心をした。
その日に、ある意味、生き返った。 
再び、前を向く決心がついた。
あの地震を掻い潜ってその日に到着したパソコン。
 
まだマニアックだったピ~ヒョロヒョロというパソコン通信をして、障害児や子を失った人たちとの会に参加したりして、どんどんと癒されていった。
 
そしてそのパソコン到着の地震の日からほぼ1年後、今高校生になった2番目の娘を産んだのだった。
 
 
 
以上が、過去の記憶の束のうちの1つです。
とても鮮明に覚えているのは、それだけ衝撃的だったからです。
 
あの手術後に娘が「だぁだぁだぁ」と伝えてくれた言葉。
そのときは「さようなら」って言ってたのだと思っていたけども。
 
「あとは頑張るんだよ」ってエールを送ってくれてたのかなって。
彼女は水先案内人で、こっちへ行くんだよって教えてくれた。
 
いろんな衝撃をぶつけて、目を覚ますんだよって教えてくれた。
 
あのきっかけがなかったら、人間というもの、生きるということ、死というものをじっくりと見つめることはなかった。
すべてはちゃんと計画通り、何かの意図の通りに進んでいる。
 
だからといって、また再び身体がちぎれるほどの苦しみや、溶けてしまうんじゃないかというほどの悲しみは、もういらないけどね。
 
長い長い昔話を読んでくださって、どうもありがとう。

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コメント

そっか。。。そっか。。。

天使ちゃんだったですね、ほんとに。。。

愛だけ、持ってきてくれたんですね。。。

読ませて頂き、ありがとうございました。

投稿: | 2011年11月23日 (水) 02時05分

どちらさまかちょっぴりわかりませんけども♪
 
そうなんですよ、あの子は天使ちゃんだったみたいです。
霊的なものの見える友達が以前、あの子は今背中に羽が生えて飛んでるよ、って教えてくれました。
すぐに戻ってくる約束で、ちょっとだけ来たみたいやね~って。
 
なので、これから必要なことを教えに来てくれたんだと思ってます♪
ありがたいです。

投稿: mie | 2011年11月23日 (水) 02時45分

天使ちゃんになっているのか。良かった。安心したような、有り難いような気持ちになりました
天使ちゃん、ありがとう、だね。

投稿: ☆TSU☆ | 2011年11月23日 (水) 09時12分

全てが凝縮していますね

それだけmieさんが悲しみにも歓びにも
とことん向き合い
集中力 行動力もあるから
展開や気づきが早いんですね

ダウン症の子を見ると
こちらまで自然に笑みになりますね
うちの息子も天使だとよく言われ
わたしもそんな気がしています

彼らは本当に道しるべですね^^

投稿: 愛子 | 2011年11月23日 (水) 09時59分

愛おしいな。

私たちは一人残らず「死」とゆう別れを経験するね。
そこから学ぶもの気づくことってほんとに多い。
「生きる」ってことを真に始めるのは、「死」に向き合った時かも知れないね。

なんて、号泣したあとに淡々と書く私でした。

mieさん、ありがとう。

投稿: | 2011年11月23日 (水) 10時49分

最初のコメは私です、名前忘れゴメン

天使ちゃん。mieさん、愛されてますね

投稿: | 2011年11月23日 (水) 12時39分

あっ!信じられない、また忘れた!!

投稿: エリつぃん | 2011年11月23日 (水) 12時40分

☆TSU☆さん♪
 
そうなの、天使ちゃんだったの♪
どうも見える人によると、白い場所で神様みたいな人のそばにいつもいる子なんだって。
そこからちょっくら派遣されて来てたみたい。
そんで今は元通り、そこでふわふわ遊んでるらしい。
 
ほんと、有難かったです☆

投稿: mie | 2011年11月23日 (水) 17時27分

愛子さん♪
 
ほんとにアップダウンの激しかった9カ月でした。
そのおかげで今がありますね。
だけど思えばそれも、予定通りだったのでしょう。
それ以外のことは起こり得なかったことだものね。
 
そしてやっぱり敢えて障害を選ぶ人は、元々天使系の人たちじゃないかなって思います。
利他で生きている人たち。
それって愛ですよね。存在自体が愛。
愛を教えるには愛であること。そんな気がします。

投稿: mie | 2011年11月23日 (水) 17時30分

苺さん♪
 
号泣してくれたんですね、ありがとう☆ハグッ!
 
だけど本当に、生きる意味を真剣に見詰めるのは、死と直面したときですよね。
曖昧にやり過ごして見なかったことにして日々過ごしていると、死が恐怖のままで硬直してしまう。
死が受け入れられると生がいきいきとしてくる。
 
いつ死んでも悔いなし!と思えるのは、こういうことを教えてもらったからだと思います。

投稿: mie | 2011年11月23日 (水) 17時35分

エリつぃん♪
 
コメント、エリちゃんでしたか!(笑)
エリつぃん、可愛い♪♪♪
 
瞑想会、来る?

投稿: mie | 2011年11月23日 (水) 17時36分

うちもダウン症と心臓に穴が開いてたから、その時の衝撃度は少しはわかるかな、あっ、最初の子ね(笑)
私はまだひきずってるかなぁ、あわせる顔がないですわ(笑)フフフ

投稿: みーくん | 2011年11月23日 (水) 21時34分

みーくん♪
 
あらぁ一緒だったのね!初めて知ったよ。
 
もうね、引きずってても団子になってても、全然大丈夫なくらいのクリアなエネルギーになってるから。
良い勉強をさせてくれてありがとう!と強い感謝の気持ちさえ持てたらクリアリング終了するよ。
自分のせいだ、自分が悪いんだって思ってるのは「特別な自分」を演じたい自我だよ。
そんなのポイっとしちゃって、ありがとう一色に染まってみたらいいよ。
ありがとうは自我じゃない何かによって生かされていることを実感する、力強い言葉だから♪

投稿: mie | 2011年11月23日 (水) 21時46分

瞑想会、行きます
子供ちゃん達、体調不良はカンベンよっ!

投稿: エリつぃん | 2011年11月24日 (木) 03時38分

読んでいて、目の前に情景が思い浮かぶ様な、とてもリアルに感じるものがありました。

うまく言葉に出来ないけど、みえさん、ありがとう。

投稿: takuya | 2011年11月24日 (木) 19時28分

エリつぃん♪
 
ほらぁ、そういうことは創造主にお任せするんだよぉ(笑)
最高最善!ってね♪
心配ご無用でござる。

投稿: mie | 2011年11月24日 (木) 22時08分

takuyaくん♪
 
そうだよ、リアルに展開したことだったもの。
だけど究極には生も死もお芝居の中の一幕。
それを情感たっぷりに堪能したんだなぁ…という感じです。
 
でも今はもう夢の中の出来事だったような感じです。
私にとってはリアル感はかなり薄いものになっちゃったな。

投稿: mie | 2011年11月24日 (木) 22時12分

ありがとう〜♡
これ読めてよかったぁ♡
感謝です。

投稿: さえちゃんのおばちゃん♡ | 2016年6月30日 (木) 14時58分

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